自己分析2006-04-19 Wed 18:49
今日は隊長邸で某嬢さんにマッサージをしていただきました。
そのおかげでかなり冷静な状態です。 だから、いまから自分の現在の状態を書こうと思います。 病名は自律神経失調症。 事の始まりは7年前、父の死から始まりました。 ありふれていますがある意味特殊な交通事故での死だったので、刑事裁判・民事裁判がありました。 そして母と一緒に、イロイロな人たちに支援してもらいながら闘いました。 そのときからのストレスが積もりに積もっていた状態で、新しい会社で三ヶ月、仕事もろくに教えてもらえず、同じ班の同僚は自分のした失敗を俺の所為にしたりして、怒鳴られまくりました。 自分の未熟さで、別の同僚を危険な目にもあわせました。 会社のお偉いさんに喧嘩を売られたこともあります。 そしてまたストレスが積もったところで、いつも怒鳴っていた同僚が、失敗した責任を押し付けた挙句、「おれはお前を助けるつもりはまったく無い」と発言したところで、精神の糸がプツリと切れました。 上司には何回も相談していたのですが、「まだキレるな」と言われていたので我慢していたのです。 だから耐えてきたのに、キレる事も出来ずに精神の糸が先に切れてしまいました。(苦笑) 家へ着いて、ご飯を食べ、今日あったことを母に告げた後、意識が途切れました。 その後、何がおこったのかわかりません。 自分が何をしたかも記憶にほとんど残ってません。 残ってるのは、独特の鉄の匂いと母の声だけです。 飛び飛びでかすかに残ってる記憶は、病院での耳障りな子供の大声。 すべての音が頭に響き、苦痛でした。 心療内科で医師の前で大泣きした事は覚えてます。 初めの一週間くらいの記憶はそれくらいです。 ご飯を食べたかもわかりません。 起きていたか、寝ていたかもわかりません。 だから、隊長が何故俺の状態がわかったのか不思議です。 弟が言ったのかな? よく覚えてません。 その後の記憶は隊長と青年Yちゃんが家にお見舞いに所からです。 隊長とYちゃんの顔を見て、ホッとして泣きそうになったのを覚えてます。 ああ、ブログに少しだけ状態が書いてありますね。 その頃は夜もほとんど寝ているかわからない状態でした。 で、毎週、隊長が誰かを連れてお見舞いに来てくれました。 そのおかげで、回復は加速していたと思います。 転機はヒロミちゃんが来て、某嬢さんと知り合ったところからですかね。 ヒロミちゃんにはプールを、某嬢さんにはマッサージをしてもらうようになりました。 気分転換になり、具合も良くなるんです。 次の日、↓になり酷く落ち込むこともありますが、治癒反応ででたほうがイイらしいです。 で、その頃からキャプテンにも連れ出してもらうようになりました。 そして、心療内科と併用して東洋医学の病院にも通うようになりました。 で現在に至ります。 ここから現在の症状です。 鬱状態は相変わらず酷いです。 特に予定の無い日は。 ま、予定があっても、予定の時間まで鬱が酷いときもあります。 今日なんかそうでした。 それに伴い、イライラもひどく表れます。 車を運転することが出来ません。 対向車が怖くてです。 父を交通事故で亡くしていて、その影響からだと考えられます。 対人恐怖症も発症しました。 女性は比較的大丈夫なのですが、男性に対してがひどく表れます。 普通の声が聞こえるだけで萎縮してしまいます。 怒鳴られ続けたからもあるし、父の事故で人間不信に陥ってたのに拍車がかかったようです。 それに伴いパニック症も発症しています。 不眠症もあります。 これは慢性的になっていました。 誘睡眠薬を飲んでます。 感情もはじめの頃は失ってたように思います。 現在もまだ乏しいはずです。 あと、自律神経失調症になって一つわかったことがあります。 特殊な状況下でですが耳が聞こえなくなるんです。 普通の生活するには問題ありませんし、検査にも引っかかりません。 特別に検査すればそれがわかると思います。 ま、しようと思いませんが。 こんなところですかね。 ま、ゆっくりまったり治すことにします。 焦ってもしかたないと割り切りました。 それで会社をクビになったとしても、その時考えることにしました。 俺の祖母がこの前、老人ホームの事をしきりに言うヘルパーに対して怒鳴りました。 「起こってもない事を今から考えてどうする、起こったときに考えればいいんだ」 うちのばぁちゃん、強いわ。(笑) |
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